黄ばんだページ。
黄ばんだページ。 2018.10.31
昨今、町から本屋さんが激減しています。横浜市神奈川区の私の店の近所には嘗て、学生が多い町でもあり古本、新刊本と役割を持ったそれぞれの本屋さんが数店舗、在ったのですが、新刊本を扱うお店が無くなりました。そして、私の住まいのある横浜市鶴見区でも。
コンビ二で週刊誌や小説なども扱う様になっては、町の本屋さんは堪ったものではないのです。
活字離れも関係していますが、コンビ二を今のようにしてしまった、ニッパン、トーハン・・・・と言った卸業者が町の本屋さんを廃業に追い込んだことは歪めない事実と聞いています。
今では、SNSを利用したり、ネット検索で大方は調べられるのですから、学生の参考書も売れないですね。私でさえ、OK グーグル は重宝していますから。
昔、鶴見の本屋さんで親しいお店が在りました。そのお店は本に加えて、文房具、事務用具も扱っていたのですが、ご多分に漏れず、凡そ20年前に廃業してしまったのです。その折、単行本や文庫本を15冊ほど買ったのです。
安売りが出来ない業種なので、値引きはありませんでした。
ご主人は、そのお店の名前が入った表紙を、丁寧に織り込んでカバーにしてくれていたのです。
正に、ご主人の気骨が溢れる、こだわりの技でした。
昨今の本屋さんはブックカバーを付けてはくれますが、読んでいる最中にずり動き、外れちゃうような装着ばかりで、気が利かない、気骨のない仕事しかしなくなり、いかがなものかと思います。
最近は、私はこのブックカバーを着けずに、表紙のデザインを愛でる事にしています。
話は戻りまして・・・・・
最近、読書に耽るようになり、離れた本屋さんまで新刊本を買いに行ったりしていますが、
部屋の隅に重ねて置いてある、20年前の鶴見の本屋さんで購入した、ブックカバーがきっちりかかった、15冊の本達に気づいたのです。
そして、新刊本に挟んで、これらの本も読むようになりました。
何せ、私が20年前に選んだ本達ですからね・・・・・
当時、本屋さんの大きな棚の中から、それらに興味を持って選んだのですが、現在の私は長い歳月を経て、本に対しての興味趣向も変わっていると思うのです。
そんな訳で、この本を読みながら20年前の自分に対面している様な気分になっています。
ブックカバーが掛かっていると、本の内容や推薦文が記してある帯も読めないので、タイトルも曖昧なままで読み終わるのです。
内容に魅せられて、著者や経歴を確認したら、芥川賞の受賞作品であったりしています。
20年も放置していて、申し訳なかったという思いで、淵が黄ばんだ1ページ1ページを読み進んでいます。
そして、同じ自営業で中学の同級生だった、嘗ての鶴見の本屋さんに敬意を込めて。