ブイサインと笑顔。 2024.3.31
ブイサインと笑顔。 2024.3.31
今月、3月1日に満93歳の誕生日を迎えたばかりの母親が3月20日・・・彼岸の中日に他界した。
7回も誤嚥性肺炎を患っていたが、その時の施設や病院の処置が良かった事に加えて当人の生命力が強く、見事に蘇るがえっていた。
彼女は昭和6年に5人兄弟の末っ子として誕生したが、この年は大不況下だったこともあり養女に出されていた。
戦前、戦中、戦後に青春時代を過ごした人だ。
戦後すぐに私を産み、そして年子で弟・・・5年後に妹を産み育ててくれた。
現代の様な便利なおむつも無く、私の生まれた2月は水も冷たく、その水でオシメを洗ってくれていた。
お乳が出なかったらしく・・米のとぎ汁を飲ませていたと話していた。
このとぎ汁は一升瓶に米を入れて棒でつついって作るらしい。
亡くなる迄の1年と10か月を地元の施設にお世話になっていた。
ここは元、工業高校が有った場所で私の母校でもありお馴染の場所だ。
施設は新しいし、スタッフの気配りには頭が下がった。
飲食を受け付けなくなり、命の灯が弱くなって、面会の条件が緩和された。
亡くなる前日の夜・・・仕事の帰りに会った。
彼女との、どの面会でも私は必ずコンパクトデジカメも持って行っていた。
そして必ず、笑ってと声を掛けている。
彼女は必ずブイサインをしながら笑ってくれていた。
遡る事数年前に、誤嚥性肺炎で救急病棟に居た彼女に、カメラを向けて・・はい笑って・・と声を掛けたら苦しそうにしていたが、ブイサインをしながら笑ってくれた。
この時、医師が血中酸素濃度が良くなっていると驚いていた。
亡くなる前日の夜の面会でも、いつもの様に声を掛けると、ブイサインをしながら笑顔を作っていたが最早弱弱しかった。何時もの、このカメラを前にしての笑顔とブイサインは、生涯、忘れない。